古民家ワーク

と言うよりも、当時は「ブラック企業」なんていう言葉はありませんでした。あったとしてもそれは、裏の社会と繋がっているような会社を指す一部の隠語くらいのイメージでしょう。でも現在では以前私の経営していた会社は間違いなくブラック企業でした。

私は広告業界にいましたが、ブラック労働は当たり前、それが普通でした。徹夜で頭が朦朧としている従業員に「間違いがないようにチェックしろ!」と檄を飛ばしていたのですから。

とにかくモーレツに働くということ

それが大企業も、中小企業も皆普通だったのです。それがおかしいとは思わなかったのです。

私は、当時デザインを中心としたデジタルクリエイティブの会社を経営していました。ビジュアル制作を中心とし、CG、デザイン、WEB、映像制作と業務の幅を広げていきました。

場所は恵比寿から8分ほど歩いたところ、住所で言えば広尾です。当時は渋谷はシリコンバレーと言われ、恵比寿、広尾あたりはクリエイティブ系の会社が集まるところ、というイメージが定着してたように思えます。

入社して来るスタッフに対して、私はこうよく言っていました。

クリエイターの仕事は時間で測れない

「残業時間が長くなるのは仕方ない、10分でいいアイディアが思いつく時と、何時間経っても何も思い浮かばない時がある。全ての制作物はオーダーメイドだ、量産品じゃない。時間で仕事を測ることが出来ないんだ。クリエイターとはそう言うものだ。」

おれ

と。

まあ、残業がつかない理由をさも正論のように言っていますが、これ自体は間違ってはいないと今も思っています。これと残業代を支払う、支払わないは全く別の問題ですが、当初は「残業代は出ないのですか?」と聞かれてこのようなことを言っていた記憶があります。

つまりブラック社長です

マスコミ業界(死語)は〆切が厳しいと言う傾向があリます。その理由としてメディアに「穴があいてしまう」からだとスタッフには教えていました。

ちなみに当時WEBメディアは全盛期。とにかくド派手なサイトを作ることを製作会社に課されていた時期でした。とにかく意味もなく凝っていました。「スペシャルサイト」と言われていたのを覚えています。

CMやプレスリリース(今でいうレガシーメディアの公開)と同時にサイトは封切り、というイメージだったので、〆切は「死んでも守るもの」でした。厳密には締め切り前の修正を全て終えることを死守する、といった方が正しいかもしれません。

雑誌であればページが真っ白、CMであれば発売日にオンエアが間に合わないというのは広告代理店にとって死活問題。

マスメディアがとにかくアンベールして、「イッセーノセッ!」で広告を打つ。クライアントがどんなに無茶なスケジュールを言ってきても首を横には振らない。そんな空気が当たり前で、クリエイターは必死の徹夜で締め切りを守った。むしろ「やってみせますよ」と自分に陶酔すらしていたのです。

ただ、私の感覚では、当時はこのような状況でも報われていた、思っているのです。苦しくても、その努力が報われれば、また次へと頑張れたものです。

小さな制作プロダクションとはいえ、頑張ったら従業員にきちんとした見返りをすることが出来ていたと思っています。それは経験であり、実績であり、着実に腕が上がったと言う感覚です。

クライアントの締め切りをオレが死守してやった、という努力に対して、感覚的にも、金銭的にもある程度報われていたのです。

徹夜が報われなくなってきた

それがいつの日からか、努力が報われなくなったのです。やがて、「デスマーチ」と言う言葉が出回るようになり、さらに「もっとやれ」「まだイケる」という感覚は無駄の極地(今言えば)、非効率の限界を突破していました。

私の感覚では、最初のブラック創業から、およそ5年でその限界へ達していたなと、今となっては分かります。その後も私は広告業界で、デスマーチを7〜8年し続けたのですが、ようやく報われないことに気づいた人々が、「これではダメだ!」と声を上げ始めました。

私は今はもうブラック社長ではありませんが、クリエイターの労働環境が今は改善されているでしょう。各社のマネージメント層もそれは意識を持って取り組んでいると思います。でも、答えは見つかっていないと思います。クリエイターやエンジニアは、頑張れば倍々で自分の価値を上げることが出来る職種だと思っています。

しかし、実際にはどうでしょう?

クリエイターの価値向上

これをキーワードとして、ブラック労働からの脱却を図らなければなりません。もしかしたら、もっと大きくヒューマンリソースという視点でその価値を見直し、市場に浸透させていく必要があるでしょう。

私はロボットやコンピュータが人間の職を奪っていくことを歓迎しています。クリエイターが本来やるべきことに集中できる時代はもうすぐそこです。もうしばらく我慢が必要かも知れませんが。

ブラック労働は、やはり人口ボーナス時代の遺物です。人が次から次へとパラシュートで降りてくる時代の考え方です。

どんどん、進めて来たるべき労働人口激減時代に備えなければなりません。

もしかしたら、放っておいてもブラック労働は無くなるかもしれません。「ブラック労働できる人」が絶対的に少なくなりますし。

とにかく時代は曲がり角です。私も曲がりたいと思います。